のりこうのくうねるあそぶー

欲望という名の電車

2007年12月5日(水)19時開演
梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて


作:テネシー・ウィリアムズ
翻訳:小田島恒志
演出:鈴木勝秀
キャスト:篠井英介北村有起哉小島聖伊達暁明星真由美菅原永二、押田健史、Takuya、永島克、鈴木慶一


ストーリー: (Wikipedia参照)
舞台はニューオリンズ。粗野な工場労働者とその妻の下に、過去を持つ妻の姉が居候し、そこで巻き起こる事件。
主人公は名家出身の女性ブランチ。ブランチは没落し、故郷を追われて妹のステラの下に身を寄せることに。しかし、ステラの夫で粗野な工場労働者スタンリーの暴言・罵倒によって傷つけられ、挙句に隠していた過去を晒され、暴行される。
ブランチは心を病み、精神病院に入れられるのであった。




日本での上演:(Wikipedia参照)
1947年にニューヨークにおいて初演された。1951年に映画化、1998年に歌劇化。
日本では最初に文学座で上演され、ブランチは杉村春子の当たり役のひとつとなった。
T・ウィリアムズは本作の上演・映画化などについて『女役は女優、男役は男優を必ず配役する(女形・男役はダメ)』旨遺言していた。その遺言による当時の著作権所有者のクレームで篠井をブランチに配役しての公演が中止になったことがある。しかし篠井ら多くの公演関係者は諦め切れず、著作権所有者を訪ね自分たちの演技を見せ、承諾を貰い上演にこぎつけた。数年来の関係者全ての執念が結実した2001年の公演が好評・盛況だった――。
ほかには、水谷八重子 (2代目)(当時は良重)、岸田今日子東恵美子栗原小巻浅丘ルリ子樋口可南子大竹しのぶなどのそうそうたる女優陣がブランチを演じている。


新プロジェクト
演出家・鈴木勝秀氏と女方篠井英介氏による新プロジェクトの第一弾として、この『欲望という名の電車』(篠井氏再演)が選ばれたらしい。
パンフにはいろいろとその経緯が書かれており、興味深い。
翻訳家・小田島氏の意欲的な新翻訳への意気込みもおもしろい。



感想
今回、この有名な戯曲を初めて観ることになりました。
舞台を観、パンフを読んで改めて、特に篠井氏のブランチという役、一人の女性への深い愛情、これでこの役を演じるのは最後、と決められている篠井氏の惜別への思いもがしみじみと染み入ります。
現代劇での女方という篠井氏を観るのも初めてだったので、その舞台から放たれる彼の、美しさはもちろん色艶を含んだオーラや仕草は、女方ならではの妖しさもあって、本当に素晴らく、すっかり魅了されました。
また、あの長ーい芝居での長い台詞回しをいともスラスラとしゃべってちっとも飽きさせない技は、もちろん原作の素晴らしさによるものだろうけれども、徹底的に見直されたという新訳の滞りのない(時代性のない・現代的な)脚本によるものでもあるし、やはりそれを演じる篠井氏の力量に、ただただ舌を巻くしかないのではないかと思います。


そんなブランチを取り巻く人々――妹ステラとその夫のスタンリー、その遊び仲間達らのキャラクターも深く描かれており、篠井氏に負けじと白熱した舞台を作り上げてました。
アンコールはスタンディングオベーション
「成仏させたい」と書いてあった篠井氏のブランチへの思いは、見事に昇華されたように思います。


それにしても、これだけ多くの役者や観客に愛され続ける戯曲の素晴らしさ。
場面展開もなくほとんど台詞回しだけで! 愚かしく哀しく優しく強くももろい人間の心や欲望の深層を描いて感動させる原作の力にも、心底感心するばかりです。


が。
原作に不満を言えば、ブランチの初めの夫がゲイで自殺したことにより、彼女の転落が始まる…という設定が、いかにもマイノリティに偏狭なアメリカ社会っぽくて単純な好悪感で、眉を顰めてしまいます。
あの映画『ブロークバッ○・マウンテン』と同じく、偏狭で独善に満ちたアメリカンやその社会を知らさえるほど、本筋の感動よりもその背景に不快感が込み上げてくるというか。


十代の少女であったブランチが、純粋に敬愛していた夫を亡くした痛手を一身に受けて傷付く様が本当に痛々しく、男たちにむさぼり食われつつも、ひたすら「誇り」という鎧で闘いつつも歯車を狂わせていく…のもムリはなく。(今回はそういう可憐な面を全面に出した演出でもあり)
夢見るように病院に旅立っていった彼女の平穏を、祈らずにはいられません…。