のりこうのくうねるあそぶー

花伽藍

花伽藍 (新潮文庫)

花伽藍 (新潮文庫)


 中山可穂好きのお若い、Aさんから勧められました。私の本棚に中山可穂の本が並んでいるのを見られて、なのですが。
 彼女の短編は、ダヴィンチの「ありがとう」のアンソロ文庫?の中で読んだことはあるのですが、基本的に長編書きの人だと思いました。話は悪くなかったのですが、あまり彼女らしくないというか、無理を感じたのです。…そういう企画に押し込められていることが、良くなかったのかもしれません。軽妙さが売りの作品と並ぶと、正攻的すぎるというか、鈍重…。短編小説はキレが必要ですから難しいかと…。最近の本は読んでませんでした。
  

 けれども、この本は五つの短編集
 読み始めからそんな不安を忘れさせる内容で、中山可穂の濃密な世界に引き込まれてしまいます。短い分、ギュッと濃縮されピリッと文章の良さが光る話ばかりで、上記の考えを撤回しなくてはなりません!
 ところで短編集は一編一編世界が途切れて放り出されてしまうので、いちいちとまどう私は続けて読めません…。好きな話の世界にはいつまでも留まっていたいから、読みながら世界の終わりが近付くのが悲しくて…。という訳でもあり、ゆっくりじわじわ味わって読みました。ああ…と一文一話に心揺さぶられながら。 
 そしてそんな大事な話の感想を、どう書いたらいいのやら悩み続け、さらに読んでから日数もたってしまいました。勧めてくれたAさんや作者を好きな方々に、感動と共感を伝えたいから、いい加減には書けない…! とのばしのばしきたんですが、いい加減感動も薄れますので……(読後すぐの勢いで書けばよかったorz)駄文なのは仕方なく、思うままに書いていこうと思います。 というわけで、以下感想…。 



 どれも彼女の真骨頂である、「恋愛の凄絶さ」が描き込まれています。そして変わらぬ、美しくて豊かな語彙、たたみ掛けて迫ってくる表現力。印象的で魅力ある登場人物たち。センスの良いクールな会話…。ご本人の資質と戯曲を書かれていて培われ磨かれたのだと思いますが、当初から惹かれずにはいられない点でした。そして文章が格段になめらかに、円熟されてきた…ように思います(最近読んでいなかったものですから…)。一文一文に唸ります! 特にこの作品集は、生活の匂いが間近に感じられました。 
 彼女の孤高でどこか虚構めいた感じさえする壮絶な世界が、現実味を帯びて隣まで迫ってくるようです。その分、多くの読者を惹き付け共感を生む作品に、今までよりは仕上がっているのではないでしょうか。流石に一流の方は書けば書くほど、話が研ぎ澄まされてくと感心します。その証しのようでとても嬉しいです…。 

  • (つる)」

 個人的なことですが大好きな作者と趣味が同じだ(?)と飛び上がり踊り回ります…!
女の人を見てかっこいいって思ったのは、ベルトルッチの『暗殺の森』でドミニク・サンダがダンスを踊るシーン以来だわ
 以来ではないけれど、同感です…!! ドミニク・サンダかっこよかったです!
 そしてこれ↓にもやられました…!
これ全部いただくわ
…(略)アメックスのゴールドカードを差し出して言った。
「…かまわないわ。ひとつ残らず詰めてちょうだい。…あなたが荷物を運んでちょうだい。…」「ええ、今すぐよ。どうしても今でないと駄目なの


 どれも主人公の恋人である人妻のたづさんのセリフですが、彼女の裕福な美しさや業の深さが感じられます。下のは、恋人の主人公を、彼女と逢うためだけの時間を、どんなに支払ってでも、買い取りたかった。どうにも奪いたいほど欲しかった、気持ちが胸に迫ります。誰もそんな風に一度は言ってみたく、もしくは言われたくなるのではないでしょうか? (…そして言ってみたい…ような誘惑に駆られ。)
 でもその恋は、至福でもあり破滅でもある恋でしかない。 
 だからその逢瀬の恋の時間をこそ、色濃く密かに生きて恋を抱いて死んでいくしかなかったのでしょう…。お互いの心は。
 その情愛の吐息まで聞こえるような、描写が冴え渡っている作品かと思います。下手に書けば陳腐にもなりかねないところ、中山可穂の品格ある文章が美しく留めています…!
 

(→「これ全部いただくわ」て愛のために言えるのは、せいぜい一冊ずつを、某所で言うだけです…。


  • 七夕(たなばた)」

 いきなり熱々のグラタンが飛んできたり、お酒やお金の話がでてきて、部屋を追い出され、荷物を詰めた紙袋の紐が切れたり汗だくでタクシーの長蛇に並んだり…彼女の話にしてはえらく所帯じみたくたびれた感がしないではないですが。ちょっと異色
 そんな主人公の前に表れた男性というのが、ちょっといい。清涼剤のように爽やか。この話は彼の魅力を書きたかったのではないか、とも感じます。
 「銀のスプーンで一匙のハチミツを掬って、さあ舐めてごらんと差し出されたような気のする笑顔」で、「抱き方の下手な若いお父さんのようなぎこちなさ」だとかという表現がいい。
 だから彼の妻がいないお宅に、するりと誘われていく感が本当に自然なのです。飼い主の留守に気の合う犬と遊ぶような解放感とか、そんな時に食べたくなるジャンクフードとか、「それを禁じるものがなく、何でも好きなものを好きなだけ食べられる状況にあったら、そんな食生活は空しいだけだろう」と買い込む様子とかその幸せ感だとか。(彼の先にいる年上の奥様をこそ、実は魅力的に描いています…)
 そしておそらく意識して食べ物話(喧嘩別れした彼女との恋愛の賞味期限だとか)が多く、どんなにセンスのいい家の中にも隠されている暗渠のような場所である浴室の描写があったり、生活が強調されています。だからかいろんな匂いを感じる話だと思いました。けれど
たいていの男は悪い男だよ
 するりと、誠実を絵にかいたような男でも、やっぱり男って浮気するんだと少し失望するのですが「人はみんな誰かの隙間を利用して生きている」と、一度かぎりの、人生の彩りを享受しようとした主人公…。
 けれども容易な道を歩まない辺りが、彼女らしい。彼女の厳しい生き方そのものな、感じがします。それが穏やかに「神様にそっとつねられたような、やさしく窘められ」たように七夕飾りを見て感じて…と包まれている辺りが、何でもないこの話を優しくて、秀逸にしている点かと思います。
 緊→緩ときて、終わりは緊と…厳しい彼女の人生に戻っていきます。引き締まります。
新しい夏の太陽が、今日も世界を照らすために、ゆっくりとその凶暴な爪を研ぎはじめたところだった。」
 

 思わず線を引いてしまったちょっとした描写が優れた作品でした。(Aさんがお好きだと言っていたからかもしれません、長々失礼)

  • 花伽藍(はながらん)」

 表題が美しい! だから、この短編集のタイトルになったのだろう、ことは疑えないです。 
 これは、彼女が書きそうな優男で、あかんたれな大阪男田辺聖子の小説にでも出てきそうです)である元夫と、その前に付き合っていた見栄っ張りの妻子ある男性との対比でもあります。そんな男性たちへの、および彼らと付き合う主人公である「わたし」への観察視線が鋭く厳しい。
 中山可穂は、常に冷静に観察していて危うくもよく計算された文章なのですが、男性に対する視線は、やや甘いのだけれど最後の一線のような欠点が許せなく、女性への視線はとても厳しいのだけれど、許してしまう点がビアンの業なのだなぁと、感じます。
 だから義理の姉にあたるユリちゃんへの視線が男性たちへと違い、とても優しい…。この話は前夫の家族との細い絆をたぐる、切ないようなあたたかい話
 まあ解決しない結末には、もやもや感が残りますが。表題にある「花伽藍」が吉野の桜のことならば納得します…。あの目の眩むよな桜の山には、言葉を失いただ立ち尽くすしかないのです…。  
(観光シーズンの人の多さにも立ち眩みますが…)


  • 偽アマント(にせアマント)」 

 話としてはヒネリがきいていてこの中では一番上手いかもしれない、と思いました。「アマント」はネコの名前です。私はそうではないのでネコ好きの気持ちには添えないのですが。猫のような恋人と出会って、別れる話です。
 この恋が成就する過程が、好きです。女同士の、互いに警戒し合いながら惹かれあい、気がついたらぴったりと身の丈にあったパートナーになっていた二人。「二人でいると居心地のよい寂しさの穴の嵌っていくようで、等分の孤独をわかちあっているようで、自分には不釣り合いな幸福感に怯えることもなければ、焼けつくような孤独感におののくこともなかったのである。
 けれども「因果はめぐるって本当だ」。以前付き合っていた年上の彼女との恋と同じように年下の彼女とも破局はやってくる。
 この焦燥感の描写もまたいいです。この気持ちはふり返る人生がないと手に取るようにはわかるまい、と思うのです。
まだ二十代で人生が色あせていなかったとき、鏡を一日に何度ものぞいていたとき…」云々。そして
 「彼女が本当は待っていたことも」知っていても、「わたしはひねくれた、淋しい人間だった」から「無限のやさしさの底に見える他人行儀な冷たさばかりを嗅ぎ分けて、卑しい人間になっていった
 …そんな若さ故の傲慢さを経験してきたから、同様に年下の彼女はふらりといなくなってしまっても、責めることができない。
なぜいつもいつも肝心なところで一枚のドアを破れずに、孤独と後悔にまみれた人生を送ることになってしまうのだろうか。
 仁子が出て行ってしまうと、わたしは玄関に蹲ったままの姿勢で一夜を過ごした。食べることも眠ることもできなかった。細い雨のように朝まで泣いた。アマントが不安そうな目でずっとわたしに寄り添っていた。

 これだけで、彼女の深い後悔が伝わってきます…。 
 アマントは、中原中也が好きな前の年上の彼女が名付けた猫で、それを大事にしている主人公を許せない年下の彼女が一緒に連れ去って行ったのかもしれない。恋人と猫を同時に失うことになった主人公の無気力感に始まった物語は、そこに帰る形で終わります。
 似た猫「偽アマント」が現れるのだけど、でもそれでは駄目で、愛しい猫と女を待ち続けて、待つしかない人生を(今の所)送る女の話です。

  • 燦雨(さんう)」

 これについては、特に下手なことを書きたくない、と思うのです。(今更ですが…orz)
 老女になった二人が、生きていくことは決して美しいことではなく、汚くも腹立たしくも自己の力ではどうにも動かせない老人的問題が幾重にも重なり生々しく迫ってきます。けれどもぎりぎりまで互いを思いやり愛しむその祈りが通じたのか、最後に叶う夢は無情にも無上――。
 燦々と降る雨に清められて、天上へと飛び立っていく、…
 読後は、喉が締め付けられるようで声が出ません。熱く込み上げてくるばかりです。
 読み進む間も、これは中山可穂彼女の叶えたい「夢」なんだろうなぁ…と読んでいて切なく心を絞られるようでした。その切実で儚い夢が叶うように祈りながら、読みました。
 そして砂の城のような夢物語なのかもしれない。こうも現実が迫ってくる描写をつらつらと書かれていることがまた願いの強さを表れているように思います。
 彼女の「恋愛」があまりお幸せそうでないのに対し、望まれた通り「書くこと」が幸福でありますように祈らずにいられません。あまりにも凄絶な恋愛やら人生を晒して来られたのだから。彼女の血文字で綴られたようなそれらを読んで多くの読者が、魅了されたと言うよりは、鷲掴みされてしまったのだから。
 そんな幸福への祈りが凝縮されて込められた話だったかと、思います。


  • 解説 

 解説を読むのが好きなのですが、……あまりパッとし解説文でした。こんな駄文を並べておいて何ですが…相手はプロ、私は素人なので言います。
「直球ど真ん中の恋愛小説と得意とする作家です」……。
「多様な側面が楽しめる、という意味で『花伽藍』はたいへんお得な短編集です」……。

……確かにその通りなのですが。 書いてあることに間違いはないです…が。
 プロの書き手としては、語彙が単純というかストレートというか陳腐というか安直な言葉遣いだなぁと感じます。改めて余計に中山可穂の卓越した語彙能力・表現力が伺えます。
 ちょっと肩を落としたくなる解説でした。
 
 
 こう自分で駄文ながらつらつら書いて並べてみて思うことは、話の筋立てとしては確かにさしたる物語性はなく、これが男女間の普通の恋愛ならば、掃いて捨ておけられるものかもしれません。女同士の恋愛だからこそ、禁色を帯びて、異色性も生まれているのですが。
 けれどもそれだけではすまされない作者の文章の巧みさとその言葉や文に込められた魂の格調の高さや力強さに、読者は打たれるのだと思います。
 今新しい彼女の文庫本『ジゴロ』が手元にあります。読むのはまだ先になるかと思いますが、(じっくり読みたいので)、その時が楽しみでなりません…。