のりこうのくうねるあそぶー

ホテル・ルワンダ

監督 テリー・ジョージ


 レディスデイということもあってか、立ち見しか席がなかったことに、まず感動!(よって立ち見です)
 しかも、いったん上演打ち切られたのに、アンコール上映で。
 こういうことに、興味を持ってられる方が関西にも多々いられるんだなぁ……日頃の自分のアホさは置いておいて……と、嬉しかったです。
 これは、94年アフリカのルワンダで実際に起こったこと。ジェノサイド――。
 同時代を生きる人間として、遠く何にもできないにしても、知っておかないといけない出来事だったなぁと思うのです。ドキュメンタリー等で、あらましを知ってはいたのだけれど、その中で生きた人のドラマを、刻み込まないと…。

  • ストーリー

 94年、ルワンダの首都キガリにて、ベルギー系高級ホテル、ミル・コリンの支配人を任されている、ポール。彼は多数派のフツ族出身で、妻は少数派のツチ族の、穏健派だ。
 ヨーロッパ人の統治政策により、少数派を優遇することで争わされてきた両族。しかしその反発で今や多数派のフツ族が幅をきかし、ラジオでも公然とかっての支配階級ツチ族への批判が繰り広げられていた。
 ポールが働く高級ホテルでは、国連の平和維持軍が駐在し、フツ族の政府軍将軍も訪れ、平和な環境であった。ポールはいざという時の家族の為に、方々への贈り物や便宜を欠かすことはなかった。
 そして4月、両族間の平和協定が結ばれた矢先、フツ族大統領が殺害されてしまう。それがきっかけとなり、ツチ族への集団殺戮―ジェノサイドが始まったのだった。
 翌朝、家族とポールの家に逃れてきたツチ族の隣人を多額の賄賂で匿い、勤務先のホテルに向かう。海外資本であり、国連兵士もガードするホテル、ミル・コリンには、フツ族民兵も手出しをすることが出来ない。だが次第に、難民キャンプのような様相を見せ始めていた。食料調達などに、かって便宜を図った方々へ交渉を、機転や詭弁で重ねるポール。
 希望であった国連軍の到着は、ルワンダ人を助けるためでなく、駐在する外国人を退去させる為のものであり、ジャーナリストやユニセフや平和維持軍さえも全ての外国人が退去してしまった。もはや世界中から背を向けられてしまったルワンダ
 絶望の中で、それでも高級ホテルの支配人である誇りを支えに、生き抜く算段を重ねるポール。ホテル親会社の社長に電話して、フランス大統領にコンタクトを取ってもらい危機をしのいだり、避難民にも海外の要人に、別れを告げるように支援を頼むよう指示する。一方で政府軍将軍や兵士達に酒を配り、「アメリカがスパイ衛生で見張ってる」などのぎりぎりのはったり等でフツ族政府軍の在中をはかり、フツ族民兵からの暴行を防いでいた。ホテル外での、凄まじいまで虐殺を知りながら…。そして避難民は1268人に膨れあがっていた…。
 100日間で100万人もの人が殺害された大虐殺――。
 その後、隣国に亡命していたツチ族中心の愛国戦線(RPF)が巻き返し首都キガリを制圧したことで、7月に大虐殺は終わりを告げた。
 ようやく西側諸国が反応し、人類史上最大の救援活動が96年3月まで展開された。
ミル・コリンホテル、ホテル・ルワンダは、虐殺から逃れることが出来たのだった。守られたのだ。それは、勇気と誇りを失わなかった一人のホテル支配人、ポールによって。

  • 感想

 一時は妻に「もしものことがあったら、飛び降りるように」と指示覚悟したほど、緊迫した状態の中で、家族を大事にし、従業員を叱咤し、自らの鼓舞し続けた、ポール。自分が感情に負けて崩れたら、支えている1200人を乗せた崖っぷちも崩壊してしまうと知っていたから。
 映画では、実在のポールよりも、弱い人間くささを演出していたけれどもそれが、人々に共感と言うか、勇気を与えてくれたと思う。そんな極限の中で、人はいかに誇りを失わずにいられるか?! 
 映画を観た人なら、たとえそんな状況に追い込まれて、彼ほど立派な行動は出来ないにしても、心がけようと、少しは思うことができるかしら。私も。



 1996年11月、私はすぐ近くのケニアタンザニアを旅行―新婚旅行してしました。
 平和維持軍の車がたくさん走ってました。
 その時は、もうそのルワンダから、コンゴとか隣国の紛争が始まってたんですね…。
 その頃、私は94年のルワンダのジェノサイドを知らなかったと思います。その後の関心によって、ドキュメンタリーとかみて、そういうことがあったんだなぁと記憶したのだと思います。
 映画は、husが「観たい」と言ってたから(彼は結局忙しくて観なかったんだけど)、関心を持って観に行ったのです。
 滂沱でした。
 その人間の尊厳に。
 ああ、知ることが出来て、良かったな。
 エンディングの歌が、圧巻でした。子供の歌声が、明るい。
 アフリカは貧しい大陸じゃない。肥沃な大地でもあったのを、列強国に支配され引き裂かれてきた。日本だって、その利益を吸っていないとは言えないと思う。もう縺れ合ってしまった今の混沌を、個人でも国際社会にもどうすることも出来ないけれど…。
 アフリカは、力強く素敵な音楽とカラフルな衣服や豊かな風俗文化を持つ、魅力ある大陸だということを、忘れずに伝えたいです。




  • 追記

 ボスニア紛争を扱ったっ映画「ノーマンズランド」の中でも「ルワンダはひどいな」と揶揄られてました。
 同時期、こちらの方もムスリム人(44%)セルビア人(31%)クロアチア人(17%)の三民族間で行われていた泥沼の紛争。しかも東欧とはいえヨーロッパ内での争いに、国連軍は手も出せないまま、ずるずると3年の間に、総人口過半数の200万人を越える難民と国内避難民、20数万人の死者を出した紛争があったのです…。
 もう民族間がどちらがどうとか、わからないんですが…こちらは確かにひどい空爆があったりしたこと報道されてたので、記憶しています。特に、オリンピックも行われた美しいサラエボの地が、無惨な姿になって…。
 そして、この映画は、正義も悪も、勝者も敗者もなく、これはルワンダと同様にただ手の出せない国連平和維持軍の無力性を写しているのですが、無力なだけでなく、無力さゆえの滑稽さというか、もう、人類全体の争いの滑稽さ…を描いた、なんとも泣くとも笑うとも怒るともいえない、無情・無常な映画でした…!
 なので、泣くというカタルシスを味わえる「ホテル・ルワンダ」の方が救いがある…。
 双方、現代史上的にも忘れられない映画(特に後者が…現代のニヒルさを現して)です。