のりこうのくうねるあそぶー

小浜、お水送り


大阪13時過ぎの湖西線にのり近江今津へ。小浜行きバスに乗り換え、終点より手前の「遠敷」下車。そこから鵜の瀬まで約4km。
歩くの、苦じゃなくなりました
頼もしくなった!(笑)山弟子?の2人、UさんとRちゃん。神社好きな彼女たち。

途中…のまずは若狭姫神を参詣。
こんなところに、こんなに古い神社が…
意外に思われたようですが、若狭は昔は海外交流の玄関口でもあり、京へも近く賑わった場所で歴史も古く伝説も多く残る場所です。
杜もすごい…
本殿を囲む瑞垣の内部には千年杉の神樹がそびえ→、千古の神域を一層森厳にしています。
その古い木々の粛然とした気にワタクシたちも包まれました。この日はお水送りの観光バスで訪れる人々も普段よりは多くいたようです。


この姫神社が下社で、上社にあたる若狭彦神社と併せて、若狭一の宮と呼ばれ、奈良時代初期にあたる養老5年(721)に創建されたといわれています。彦神社へは1kmほど歩き、参詣。


「この二つの神社で共通する点は、境内に、本殿・神門・随神門といわれる3つが一直線に配置されていることです。全体的には、彦神社は本殿の前面屋根が短く簡潔なところから厳粛な神殿といわれるのに対し、姫神社は本殿の屋根が流れるように伸びていますので、やさしく美しい感じを受けます。
 姫神社の社叢はカゴノキ、ムクノキなど暖地性広葉樹林で、県の天然記念物に指定されています」
とのこと。


ところで、ワタクシがこの地域やお水取りに興味を持つきっかけとなったのは岡野玲子氏の『陰陽師』を読んでからのことでした。
日照りの続く都へ、雨乞いの旅(呪術)に出かける清明と博雅が最初に訪れる水深き場所でもあり、その巻では、東大寺への「お水送り」のことが、述べられていたのでした。
そうして数年前に念願の「お水送り」を見ることができて、それは大変おもしろい体験でした! ので再びの今年、お友達を連れてきてしまったのです。


お水送りの神事が行われる…まだ準備待機中の神宮寺を通り抜け、明るいうちに鵜の瀬まで行ってきました。


前回は暗闇の行進で来た場所だったのでもっと深厳な場所かと思いましたが、日の光の下では…若干〜人工的な部分も目に入りました、ねぇ…(^_^;)
綺麗な場所でしたが☆


お水送りの由来
東大寺を開山した良弁(ろうべん)僧正は、若狭小浜の下根来(しもねごり)(白石)出身とされ、大仏建立には当時若狭にて修行中のインドの渡来僧・実忠(じっちゅう)が招かれています。
天平勝宝 4(752)年、この実忠が東大寺二月堂を建立し、修二会(しゅじえ)を開いて全国の神々を招きました。ところが、遠敷明神が漁に夢中で時を忘れて遅刻(ちこく)しました。そのおわびに本尊(ほんぞん)に供えるお香水を若狭から送ると約束し、二月堂の下の岩をたたくときれいな水が湧(わ)き出したと伝えられます。そこでこの湧水(ゆうすい)に命名されたのが「若狭井」です。」
ということで・・・


神々の寄合に遅れてくる神様」…って伝説、どっかでも聞いたことがありますねぇ〜。(笑)
神津島のそれは、伊豆諸島の水の分け前を決めるに当たって遅れてきた島の神様が、残り少ない水配分に怒り暴れてあちこち散った水がお陰で、神津島にはあちこちで水がわき出すという…(水分伝説)。
なんだか他にも、ありそうな話です☆


神宮寺は寺と神社の性格を併せ持つ寺で、しかしお水送りは神社の祭事であることから、本堂の正面の仏像向きではなく、上手側に設置された神棚に向かって行法を行うのだそうです。


それは18時頃…白装束の僧(山伏)たちが、ホラ貝を鳴らしながら入場し、入幕された本堂内で修二会、達陀(だつたん)の行法が行われていました。その間ワタクシたちは外で待たされているわけですが、なにやらドンドン音がします。
(行法などは「お水取り」→http://urano.org/kankou/topics/shunie/omizutori2.html


そうしてようやく幕が開けられ、火のついた松明が中から出てきて、本堂廊下を駆けて煌々と照らし、降ろされて、


境内の摘まれた護摩壇に火は移され、護摩が焚かれる、という流れでした。
二月堂とは違い、火の熱を感じるほど、すぐ前を移動するお松明!そうして燻されるワタクシたち!(笑)


護摩の周りは人だかりで様子も見えなかったんですが、矢をかけたり太刀をふるったり、いろいろあった(らしい)後、ようやく火が焚かれます。あの、初めはもうもうと煙を高く上げて後に、火の手が上がり、火の粉が夜空を高く舞う様は、本当に厳かで美しいものでした。



護摩木が投げられ佳境も過ぎた頃、その火を再び松明に移してお松明行進が始まります。

あらかじめ参内者たちも手にしていた松明(神宮寺にて購入)に護摩の火を移してそれに続き、えんえんとその火の行列が1−2km続いて、鵜の瀬で再び大護摩が焚かれて送水神事が行われるのです。


が。
日帰り予定のワタクシたちは、その日予約したタクシーに
「今日は交通規制もあり、吹雪く天気予報で今津への峠超えも大変なので、9時には神宮寺の信号の下まで戻って欲しい」
を告げられていたために、鵜の瀬への松明行列には参加せず、ただ見守っていました。
前回来た時は、それも参加できたのに…。っていうか、お水送りの一番のハイライトとも言え、その祭事に参加できるという最大の楽しみでもあったのに…。かなり残念ではありました。


が、ま、明るいうちに鵜の瀬まで参詣できましたし、同行者2人もとりあえずそれで納得してくれていました。
薪に当たり(燻され・笑)ながら…寒空に‘火の有り難み’を感じ入るのもまた一興。松明が消され、片付けられていく‘祭りの終わり’を、(興味深くも)見送るのもまた一興。(笑)
そうして、神宮寺下の「森林の水PR館」という施設(開いてて良かった)にて、ぜんざい(美味しい(*^_^*))をいただきながらタクシーを待ったのでした。


そうして近江今津には21:40頃に着き、22:02発京都行きから大阪へ戻りました。

 
行きの電車の中で、先の『陰陽師』雨乞いの巻を、彼女たちにそれをお貸しした時、
昔は難しくてわからなかったことも、今読んだらすっとわかる…
そう。…年を重ねることでわかることも、そうしてわからないことがさらに増えるのも、また人生の味わいのひとつかと思います。
若い方ともご一緒できて、ワタクシが面白いと思っていることを、そう感じてくださるが嬉しくて、ついついお節介をまた!またやってしまいます。(苦笑)