のりこうのくうねるあそぶー

奈良ゆみさんのソプラノリサイタル

sawanonn2008-07-12

歌、太陽のように・・・
明治・大正・昭和に凛々しく生きた「日本の女性作曲家を歌う


2008年7月12日(土)19時開演
モーツアルト・サロンにて

【出演】
ソプラノ:奈良ゆみ 
ピアノ:モニック・ブーヴェ


【プログラム】
松島彜(1890−1985):春の明日(尾上柴舟)、しのぶれど(平兼盛)、真珠(竹内俊子)、夕べの浜(尾上柴舟)、崩るる蕾(句仏上人)


外山道子(1913−2006):『やまとの声』より…春(古今集)、祈り(万葉集)、山彦(古今集


渡鏡子(1916−1974):野原に眠る(萩原朔太郎)、母上に(野長瀬正夫)、祭りのまへ(北原白秋)、マクマオウの街(江間章子)、ママの立ち話(柴野民三)


金井喜久子(1906−1986):
『沖縄のうた』より…東西東西(岸和一郎)、赤山、与那国の子猫(訳詞・金井喜久子)、宮古の子守歌(訳詞・金井喜久子)、てんさぐの花(訳詞・金井喜久子)、、
ハイビスカス(川平朝申)、絶筆(矢野克子)


吉田隆子(1910−1956):ポンチポンチの皿回し(中村正常)、鍬…組曲「道」より(中野鈴子)、お百度詣(大塚楠緒子)、君死にたもうなかれ(与謝野晶子



感想

その時代、作曲を勉強していらした日本女性たち…だなんて、庶民ではあり得ないヒトたち…なんでしょうねぇ…と想像。
……ちょっと『のだめ』に出てくるミルヒーの学生時代マドンナだった校長先生?を思い浮かべつつ(笑)、
「日本人の妻を娶る」ことが幸福の条件の一つでもあった…当時のそれは良家のお嬢様で才媛な彼女たちのマドンナぶりを、想像してしまいます。


前半に松島、外山、渡氏たちの演奏を聴いて。
作曲技法的に(おそらく)は、今の日本の現代音楽の歌曲(の発表コンサート?)〜を聞いても、全然かわらないような、感じを受けました。


奈良さんのリサイタルは2回目で、前回がフランス語、今回は日本語でしたので、日本語に親しい者としてはより詩の世界を表現されている奈良さんの歌いぶりが、よりストレートに響いてきて良かったです!
また、曲間に客席から携帯電話の音が響いてきて、それを
「どこかで呼ぶ声がする…!」
歌の一部のように歌われるように仰って、次の曲へ入っていった、彼女の機転の良さ!
そんなアクシデントを瞬間に歌の世界へ変える彼女に、客席から拍手喝采の気持ちがいっせいに贈られたことでしょう


後半金井氏の曲は、沖縄音楽がベースに(またはそのまま)されている曲でした。
――『島唄』は昨今の日本のポップス歌手などもたくさん歌ってますし、島唄ライブなどにも多少親しんでいるので、島唄の歌いぶりなどは、クラッシック感がやや「ん?」って感じでしたが、(奈良さんでなければ、もっと違和感があったことでしょう)
奈良さんの、詩の世界の表現を真摯に努める(沖縄人の情の濃さ、人の温かさ、優しさなど)全身での演奏には、何度か胸を突かれました。
金井氏の曲では「絶筆」(矢野克子)――わが引ける飛行機雲よ、白きリボンとなりて……さらば琉球
故郷を思う気持ちに、詩の心に、音楽に、琴線が震えました。


吉田氏の曲もまた……。「反戦と女性解放を主張し続けた作曲家」とあるように、社会に立ち向かうプロレタリア文学の名詩の数々を、こうも見事な音で深い世界を共鳴させたかと、感銘いたしました。詩と音と歌声がズシズシ胸に突き刺さります。
百度」(大塚楠緒子)の世界も良かった。うっかり涙腺がゆるんだ後に。
あの与謝野晶子が!
あの有名詩が!!「君死にたもうことなかれ
これ以上ないと思われる詩と音楽のコラボレーション、ていうか、ワタクシはまず出だしの伴奏の音から、音楽自体にも「やられた〜!」感がしますし、奈良さんの歌にも、会場中の何人もが、涙されていたかと思います。涙腺決壊…(T_T)状態


後で訊くとこの曲は、フランスで!日本語で歌ってもとても喝采を受けるんだそうです。
また、この曲を歌った後は、奈良さんも「他の曲を歌う気がしない」という、気の入った演奏振りに、興奮鳴りやまないような、リサイタルでした。


……はー…、お疲れ様でした……。