のりこうのくうねるあそぶー

GW山行〜①妙義山

上州へ…
前日大阪OCATから夜行バス「シルクライナー」に乗り、翌朝「シルクの国」は高崎へ。(バスの終着は館林)
昔々〜(西日本に住む)ワタクシには、日本地理最大の難関でした群馬と栃木の位置関係でしたが(苦笑)、そんな西上州・群馬は蚕の国だそうで(日本哀史・某製糸工場があり…)〜バス名もそんな所から来ているようですねー。(高速バスのネーミングは結構面白い)
高崎から、上信電鉄に乗り山間を揺られて下仁田駅へ。
あのお葱ってこんな山間部で作られていたのか…とちょっと感銘。あとこんにゃくも有名ですね☆


そこからタクシーでスタート地点の中之岳神社へ。駐車場展望台からは、桜も咲いてのどかな春模様だけれども、周辺の山の峰は奇岩でガタガタと異様な山容が並びます。
妙義山そんな大絶壁と岩峰林立する西上州の代表格であり、日本で最もコワイ尾根道と評判な山なのでした。
そこから望む荒船山は、なるほどそんな山の荒波を悠々進む大船のシルエットで(笑)、前に登った山行が懐かしく思い出されます。
今回はそんな急峻な表妙義の山腹を巻く、中間道という道を、「関東ふれあいの道」として整備されたコースを、のんびり歩いてきました。


妙義中間道…
石門めぐりと呼ばれる道を、浸食された大礫岩を縫うように潜りめぐり登っていきます。こういう岩くぐりは、よくある修験道の山道の約束ごとのようで、面白く、よく「胎内潜り」と銘打っているかと思います。そうして何度も生まれ変わることが、信仰の重要ポイントなのでしょう…。
そんな生みの苦しみを味わう修行道ですから!? 鎖場の連続にhusの腰も引き気味に、他のハイカーも「一生分の鎖場を登った気分」でもういいわっ!と閉口していました☆


とはいえ良く整備された道ですから、ちょっとしたスリルもサービスでしょう〜(笑)と、
第4石門をくぐり、スリルも慣れてきたので、大砲岩の尾根に登り着きます♪
尾根に立つと、そこから鎖はなくっ!? 
正直…足がガクガク、心臓バクバクと〜ビビッちゃいましたので(苦笑)〜、そこから大岩の上で大砲岩の岩峰を望むに留まり、呼吸を整えて元の山腹の中間道に戻ったのでした!


そこから先は絶壁を望みながらも明るい雑木林続く道で、husも
ここは名ハイキング道だね」と
気に入ったようです。案外人も少なくてワタクシも気持ちよく歩きました。
重文指定もある妙義神社の一部は改装中でしたが、本殿は黒塗りの荘厳な神社でした(ちょっと日光を思わせる/笑)。
礫岩で作られたガタガタの参道を下り、妙義ふれあいプラザの温泉で汗を流していると、天候にわかに荒れだして、「稜線にいたらコワイやろうね〜」と安堵しあった私たちでした。(苦笑)


桐生へ…
バスで上州富岡駅まで戻り、また上信電鉄で高崎までもどります☆
ところで上信電鉄の車輌は、蒟蒻畑の?イラストなのか妙にキラキラ目なキャラが眩しかったです。競馬場というには…らしくないような?看板も!☆



そうそう〜高崎駅前には「上毛三山」のオブジェがあるのですが。その赤城山榛名山妙義山上毛三山に、今回で全踏破したことになりました。
それからJR両毛線に乗って桐生に向かったのですが…
なんで上“”とか両“”とか、この辺“”って言うの〜?
ふと湧いた疑問ですが…?


この辺は古称「毛野(けの)」というそうで、上毛野(上野国)と下毛野(下野国)を分けて、併せた地域を指す地名を「両毛」といい、国名を2文字に定めてから、上野(こうずけ)と下野(しもつけ)と毛を取って記したらしいです。ふーん(@_@)


桐生は絹織物の名産地として栄えた町で…」と、
宿泊ホテルの送迎車の運転手がそう教えてくれた通り、そんな歴史を感じさせる洒落た街並みを抜けて向かうはその街を見下ろす山の頂に建つ「きのこの森 桐生国際ホテル」でした。新緑の森に囲まれたいろいろ〜きのこづくしのホテルでちょっとおもしろかったです☆ 特に離れの「きのこ茶屋」でいただく囲炉裏のバーべーキューの夕ご飯など(笑)→
まぁなかなか乙かと…と雰囲気味わいました…。